白川静氏の追悼

ぼくは一介の技術者で国語学の心配をすることはあまりない。それでも、白川静氏の訃報と一連の解説記事は興味深く読んだ。
ぼくが白川氏の辞典を読んだのは、子供の名前を考えていたときだった。書店であれこれと漢和辞典を探していたときに明らかに他と違う大きな辞典を見つけて(いわゆる白川三部作)、その詳細さに驚いた。さすがに白川三部作は買えないので、市立図書館に見に行っていた。そのうち2003年暮れに(ちょうど第一子の出産の直前だったが)、手頃に買うことができる常用字解が発売されたので、予約して買った。人名漢字は常用に含まれていないものも多いので、名付けの目的からは多少不満だったが、古代中国の漢字の成り立ちを見ながら名付けを考えるのは、なかなか楽しかった。
あれから3年、一ヶ月後に第二子の誕生を控えて、また白川辞典を楽しんでいる。前回は人名漢字が引けなかったのに困っていたが、今年は常用字解の追補として最近刊行された人名字解も購入した。「人名字解」には常用漢字が載っていないが、「常用字解」の該当ページ番号が記されている。

毎日新聞によると学者としてたいへん厳しい人であったようだ。一つの仕事を成し遂げた人間として敬服するほかない。一方で、著書を通じて、ぼくのようなごく一般人にも漢字成り立ちについて知ることができるようにまで導いて下さっていることに感動する。ご冥福を祈りたい。

ところで、ぼくの職場は工学部出身の理系エンジニアばかりがいる開発現場なのだが、職場の先輩方に話を聞けば、子供の名付けの時には白川辞典を調べたという人が少なからずいる。仕事に関係があるから、受験に必要だからではなく、人生の幅としてなにかを識ることの豊かさをそこに見る(大げさか)。自分がいる社会を知り、我が子の名前にもその思いを込めたいと、ぼくのような一般人が考えているというのが、文化なんだろうなぁ。


蛇足話
さいきん、必修履修科目にもかかわらず受験に必要がないという理由で、違法なカリキュラム組み替えをしている公立高校が話題になっている。高校の歳ぐらいまでは幅をもって教養を身につけた方がその後の能力向上にのために良いとぼくは思っていて、法的に履修範囲を決めるのは重要だと思うのだが、目先の目的のためには法を破る人たちがいるということだな。私立高校だとカリキュラムの実態把握もできていないそうで、どうなっているんだろう。受験教科が減ってきたのはここ20年ぐらいの傾向なので、その世代のひとがそれ以上の世代と同様に漢字文化に興味を持っているかどうかは(測定できないけど)面白い命題ではないかと。
受験教科を減らして、結果的に世の人々の学習機会を奪っている私立大学とか、受験さえ受かれば教養なんてなくても人生の幅が狭くなっても構わないとか考えているような私立高校とかは、社会のためになっているんだろうか。私立の教育機関には公的補助は本来不要だとぼくは思っているのだが、補助先が最低限のコンプライアンスすら守れていないとなれば、税金の無駄遣いと言うほか無い。
えぇ、故白川先生は私立大学のご出身で教授にもなられているので、私立大学が一律にダメだという訳ではないのですがね。

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イカ漁のLED、実用化には課題があるはず

今日の毎日新聞夕刊トップは技術の話。「原油高に対抗 LEDいさり火」として、イカ漁で使うメタルハライド灯を白色と青色のLEDで置き換えるというニュースだ。以前から取り組まれていたアイデアではあるが原油高騰を背景にクローズアップされているようだ。夜のイカ漁のライト(漁り火)は人工衛星からもよく見えるという話があり、日本海に明るい都市があるように撮影されるという。電力削減をしたい気持ちはよく分かる。
しかし、技術屋からすれば(漁師にとってもそうだろうが)新聞記事は実に物足りない。消費電力でどれだけの効果があるという記述に問題がありすぎるのだ。新聞とネットから記述を拾ってみよう。

…消費電力60分の1というLED型に期待している。(毎日新聞)
…放電灯やハロゲン灯に比べ、発光ダイオードでは、約10分の1の消費電力で済み、…(西日本新聞社)
LEDの投入電力は、従来型集魚灯の放電灯(電球)のわずか六十分の一。(日本海新聞)
…MH灯に比べ、LED灯は燃料消費量が三割以下に抑えられることが実証された。(富山新聞)
試験協力している漁船が使用している集魚灯の六十分の一まで抑えた。(山陰中央新聞;要約)

LEDは魔法の技術ではない。しかし、何でもかなう魔法のような技術だと思っている人も多い。青色発光ダイオードの特許裁判でそのイメージはさらに強まったのだと思う。ぼくの会社は電機メーカだけど、同僚の技術者(複数)でもLEDは発熱がほとんどなく、最高の発光効率が得られるものだと信じて疑っていなかったりする。

技術に弱い新聞記者ならなおさらだろう。画期的な技術としての記事を書きたい思いからかもしれない。本当に60分の1の電力で同じ光量が得られるなら、実用化に苦労はない。どんな分野でも性能が2桁も改善することができる技術なら、すぐに採用されて社会を変革していくのだと、ぼくは思う。照明用のLEDはエネルギー効率を2桁も改善はしない。

先に引用した記事で言えば、山陰中央新聞がいちばん正直な書き方だ。試験している漁船がいつも使っている電力からすれば、60分の1程度の入力電力なのだ。LEDは高いし、まだ実験段階でもあるのでそれほど大型装置でもない。リーズナブルな装置価格で実用化することも重要だ。ちいさな装置で様子をみているのだろう。そして、60分の1程度の電力を入力して、結果いつもよりずっと暗い照度が得られているのだと思う。たしかにどの記事にも同じ明るさが得られているとは書いてない。でも、そのように誤解する人は多いと思う。
イカ漁に煌々と高照度の明かりを使ってきたのは、そうしなければ経済的な漁が出来なかったからだ。LEDは発光波長帯が異なるから違う成果が出る可能性はあるが、単純に照度が必要となれば、装置価格が高くなる上にそれほどの省エネ効果も期待出来ない。
照明用のLEDが家庭で普及すれば、多くの人は実感として理解出来るようになるかもしれないが、LEDだって、発光させればそれなりに発熱する。パワーを上げれば上げるほど、半導体ベースだから無駄な発熱が増えるはずだ。メタルハライドの代わりになるほどの光量となれば、発熱で装置が壊れかねないぐらい発熱するだろう。

こんな「夢の技術ができました」で、一面を飾られると、技術屋としてはマスコミにがっかりするほかない。実用化の課題をわかりやすく解説してよ。お願い。

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知事候補が相乗りなのは、議会が相乗りだから

滋賀県を車で走っていて知事選の選挙カーを見かけたときには、ちょっと素人ぽい雰囲気の呼び声だったので、これほど大差で勝つとは思えなかった。最初は意外な感じがしたが、決まってみると相応しい人が選ばれたものだと思う。

滋賀県知事選:自民ショック 民主は「相乗り禁止」徹底

感心したのは新聞の記事にあった2つのエピソードだ。
(1) 新知事になった嘉田氏が県内の裏路地までをよく知っていて自ら選挙カーに指示を出していた(朝日)、(2) 「もったいない」という言葉は滋賀県で年配のひとが良く口にしていたのを聞いたから(毎日)。学者といってもフィールドワークを重視してきた人だから、地方政治への道も開けていたのだな。

それにしても、今回の連合滋賀と民主党にはがっかりした。特に民主党はこの選挙を機会に新幹線駅反対に梶を切るべきだ。それができない民主党の県議会議員は離党して自民党に行くのが政治家としてのけじめだろう。

新幹線駅が「土建屋に甘い滋賀県政」の最たるものであることは、明らかだった。田んぼの真ん中にひとつ駅を作るのに250億以上かけるなんて、まずは算盤があっていない。採算が見込めるモノなら、JR東海が自分で建てる。そんな駅を無理しても作りたいのは「新幹線駅にも近いびわこ新空港」のシナリオが次に控えているからだ。そんなことで新幹線駅を推進している人間は、新幹線に乗るつもりなんかさらさら無い。欲しいのは「新空港の建設」なのだ。
滋賀県南部に新駅が必要ないことは、政治ではなく地理で理解しなければならない。京都駅に十分近く、かつ在来線鉄道アクセスが完備しているので、実質「こだま」しか停まらない駅など利用価値がない。そもそも滋賀県南部は交通網が充実している。交通の要衝であった歴史的な背景もあるし、昭和期における県政が交通整備を重視してきた成果でもある(これは素晴らしかった)。では、今日の政治家はさらに新幹線駅を作るべきか?…ちゃんと考えてくれ。
新幹線新駅の経済効果を説明するのに、推進派は「品川駅」を例に説明してきた。自民党支持者でもこの説明には呆れるほかなかった。どうして品川新駅が参考になるのだ?空港大事で新幹線に愛情のない推進派はむちゃくちゃな説明をして自らの墓穴を掘っていたように思う。
駅を作れば発展するという人は、米原や岐阜羽島の駅を忘れているのだろう。両駅がどんなところかは滋賀県民の多くが知っている。現職知事は新幹線を選挙の争点から外すのに必死になったが、8年間の実績を強調すればするほどに、有権者は新幹線駅と空港建設が現職の公約と功績だったことを思い出していた。

話を最初に戻そう。そこで民主党はいったい何を有権者にしてくれたのだ?「暴走する空港建設推進派と知事、おかしな説明をする政治家、呆れる住民」。これだけ、条件が揃っていたのに、有権者に「別の選択肢」を与えてくれたのは、民主党ではなかった。民主党は県議会で自民党と相乗り状態。自民党と同じ政策判断しかしてこなかったから、知事選挙で「別の選択肢」を用意できなかったのだという。連合滋賀も、そんな民主党を何となく支持(強くは支持してなかったようだけど。公示前から新幹線駅について知事を糺していたが、論理のない回答にうやむや)。

民主党の価値が問われている。支えている連合の価値も問われている。新知事は県議会に基盤が無く、苦戦すると伝えられている。どうする民主党、どうする連合滋賀? しがらみを整理して、時代を変えていく勇気をもって欲しい。民主主義のために有権者に選択肢を。
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滋賀ではいい選挙があったものだ。ぼくが暮らす京都では、相変わらず「反共産」の一本槍で50年前から時計の針が止まっている(止まっているのは思考か?)。政治家はちゃんと政治の話をしろよ。選択肢を示してくれ。

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思い出のソニータワー

いつの間にか心斎橋のソニータワーが取り壊されているらしい。

大阪ソニータワーも解体、メタボリズム受難の時代へ

学生の頃、たびたび足を運んだ。心斎橋を散策して、時間があれば地下鉄の駅に向かう前に寄り道させてもらった。オーディオやハンディカムの新機種がすぐに並んだ。ここは東ちづるさんがここに勤めていたことでも知られていて、ショールームらしい華やかさも好きだった。そのときは、その後自分が電機業界に身を置くことになるとは思っていなかったが。
建物はすごく印象的で、ぼくが行っていた1990年代前半にあっても実に未来的な雰囲気で存在感があった。シースルーの速いエレベータで御堂筋と長堀通りを見下ろす感覚に感動した。しかし、今日までしらなかったのは、この建物が1976年竣工だったことだ。ぼくが通っていた当時、内装は十分に整えられていたし、新しいビルだと思っていたのに、そのときで25年以上も経っていたのだ。ぼくは学生時代の思い出もあって、このビルの解体のニュースを寂しい思いで読んだ。

リンク先には、同じ黒川紀章氏による東京・銀座の「中銀カプセルタワービル」についての言及もある。ぼくはこちらは拝見したことがなく、文献上で知るだけだ。ソニータワーと同じく、メタボリズム[METABOLISM]の作品と言うことらしい。しかし、ぼくの受ける印象は大きく異なる。1972年の中銀カプセルタワービルはいかにも古くさく、1976年のソニータワーには未来を感じてしまうのだ。単に、関西人としてのぼくの主観だろうか。
思うに、住宅である中銀カプセルタワービルは住環境として許容できるものではなくなってしまったからではないだろうか。30年間で住居スペースは大きくなった。中銀カプセルタワービルの天井高2.1m、備え付けのブラウン管テレビ、小さなベッド…いずれも現代の生活とはかけ離れている。ひとり暮らしであっても、モノをたくさん所有する現代では収納も十分でない。銀座に勉強部屋を持つには良いが、生活空間としてはあまりに窮屈だ。ビルの区分所有者が立て替えを要求するのも無理はない。
日本建築家協会(JIA)は中銀カプセルタワーの保存を求めているらしいが、ぼくは壊してしまった方が良いと思う。設計の良否や、建築史的な意味とか、アスベストが使われているから、ではなくて、単に施工後30年して、居住者が維持することを拒否しているというのは厳然とした事実なのだから、それを受け入れるべきだと思うのだ。保存などせずに、ソニータワー同様に記憶と記録に留めるので十分ではないか。
黒川氏のカプセルより先(たぶん)、1970年の大阪万博で示されたものがある。万博の展示物だったカプセルタワーは滋賀県に移築されている。名神高速道路から見えるこの建物があれば、もう十分。銀座で維持できないなら、中銀カプセルタワービルも滋賀に移築したら?

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増税案を自分のこととして考えるために

政府の増税案がでたとして、テレビのニュースから自分のこととして、実感ができるだろうか?インターネットを使えばテレビのニュースを見ているより印象に残る体験ができる。連合が面白いキャンペーンをやっている。公務員、会社員問わず、給与所得者なら体験してみる価値は十分にある。しかも、操作は簡単だ。この下の「増税試算チェックツール」を使うか、 http://www.think-tax.jp/ (連合のキャンペーンサイト) へ行ってみよう!

春闘で勝ちとった金額よりも、ずっと大きな金額になるだろう。ぼくは、年額 318,000円だった。毎月25,000円以上。別途、妻の収入にも増税がのしかかるはずである。

所得税なのに「サラリーマン大増税」なのは、なぜって? サラリーマン以外の人は所得税が少ないのでインパクトが小さいのでしょうね。所得税の意味を問いたいね。消費税は経済活動にかかる応分として高くして、累進制の補正は逆人頭税ですればいいと、ずいぶん前から夢想しているのだが、エンジニア的発想なのか政治家からはそんな意見を聞いたことがないな。最近はやりの「格差社会」も、所得税制、付加価値税制、相続税制から論議するのがはやらないかなぁ。問うべし、問うべし。

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シャープ労組春闘事件は労使馴れ合いの果てか

5年ぶりとなった今年の春闘は、デフレ脱却懸念(消費者サイドからは可処分所得が減るのだから賃上げの理由になる)、定率減税の廃止、業績の回復、労働分配率の低下、日本経団連トップによるベア容認談話など、賃上げを要求するだけの変化点が多くあった。一方、ここ数年での経営スタイルは、利益配分を株主配当と一時金(月給ではなくボーナス)に反映するものに大きく舵を切ってきたことから、業績回復は月例賃金ではなく一時金で報いるべきとの考えが主に経営側から示されていた。製造業の国際競争は激しさを増しているなか、組合側も大幅な賃上げを要求できる状態にないことを理解しており、電機連合の場合、ベア要求は2,000円とした。それでも、経営側の固定費懸念へのこだわりが強く、結果的に500円程度の妥結に終わった。
ごく少額の妥結水準になったことを非難するむきもあるが、ぼくは評価している。ベースアップは死語とされた時期を経ながらも、社会環境の変化を労使ともに確認して有額回答にこぎ着けた。さらに以前の春闘からすれば経営・労組ともトップメンバーの多くが交代している状況で、労使ともに真剣に賃金の意味をかけて議論と交渉を闘わすことができたことに意味があった。妥結金額だけでなく、賃金テーブルの内容までに踏み込んだ会社も多かった。課題としては、電機連合内で妥結額がばらつき、統一交渉や要求水準の意味がこれまで通りに説明できなくなっていることがある。かといって、妥結額は各社の業績を反映したものでもない(「ベアは各社の業績を反映して…」などと書いた報道機関は反省してもらいたいものだ)。賃金とは何によって決まるのかをゼロベースで考え直す時期に来たのかもしれない。電機連合の政策委員会では難しい議論をしているだろう。

春闘が終わって一ヶ月もしてからこんなエントリを書いたのは、このニュースには心底びっくりしたからだ。

シャープ春闘妥結、実は35歳だけ賃上げ

今年の春闘の労使交渉で、「35歳500円」の賃上げ(賃金改善)とされたシャープ(大阪市)の妥結内容が、35歳の社員だけに限られたものだったことが19日、わかった。35歳をモデルに他の年代の賃上げ額を決めるのが通例だが、モデル年齢の組合員だけが賃上げされ、他の年齢は賃上げゼロという極めて異例の内容。同社の労働組合は「見せかけだけと言われるかもしれないが、目標をクリアし、ストライキを回避するための苦肉の策だった」と話している。
  (中略)
高橋伸夫・東大教授(経営学)の話「ストを回避しようと、500円という額にこだわった結果で、余りに極端。組合員の信頼を失い、労組の求心力が失われるのではないか。他の年齢層との賃金バランスを欠くことにもなる」(読売新聞 4/20)

 【高梨昌・信州大名誉教授(労使関係論)】 常識では考えられない妥結内容で、組合がよくのんだものだと思う。賃金の秩序を崩せば社員全体のチームワークも崩れ、経営者にとってもマイナスだ。賃金の秩序を崩す際は、職能給を導入するなどの理屈や経過措置が必要で、その意味でも今回の内容は乱暴だ。(朝日新聞 4/21)

ぼくを含め他社の一般社員は4月20日になって新聞が伝えたところで初めて知った。電機連合のサイトを見ても交渉銘柄1点だけ変えたなんてことは分かりようがない。

さて、ぼくはこのニュースの何に驚いているのだろう。事実上のベアゼロに驚いているのではない。ひと言で言えば、このシャープの労使交渉において組合員の立場からは「組織に対する信頼感のありか」を見いだせないからだと思う。まず、労働組合。こんな姑息な手段を使って交渉銘柄における目標をクリアすることの、一体どこが組合員のためになる行動なのか。組合員は労働組合費を払い、組合活動を日々ボランティアで支えている(と思う、ぼくはシャープ社員じゃないが一般論として)。その組合員に対して、対面保つためだけに、賃金テーブルの一部をねじ曲げるような改訂をしましたなんて説明が何でできるのだろうか。会社も会社だ。こんな回答のどこに社員に対する誠実さがあるというのだ。
電機会社サラリーマンの一般論として、大きな会社組織の賃金テーブルというものはその会社の風土、歴史と密接に関わりつつ、そこの社員にとっては(日々気にするものではないが)大切な意味がある。自分のライフステージに応じて賃金が伸びるのか、昇格すればどのように賃金面で報われるのか。退職金がいくらになって老後にどう備えるのか。家庭をどのように築き、家族を養うのか。自分の仕事がいかにすれば認められるのか。それだけ重要な賃金テーブルを修正するにはそれなりの施策説明、ストーリーが必要だ。だのに「一点だけを修正しました。これはストライキを回避するための苦肉の策です」なんて、労組の幹部たる人間が、ひとが働くことにかける意味や思いをすっかり忘れたかのようではないか。この納得性のない施策は、まったくもって理解不能。ぼくの会社でこんなことをすれば、組合執行部は全員辞任に追い込まれるだろう。
今年の春闘の要求金額が少額だからその内容を問題にすべきでないという意見は分かるが、賃金の意味を討議通して問うプロセスを放棄してもらっては困る。たとえ少額でも納得性や合理性の高い結論を導き、労使そろって新しい賃金体系に合意していくプロセスを大切にすべきだ。要求金額で得られるものと春闘に投じるエネルギーを経済合理性だけで考えれば、最初から交渉しないという判断もあったはず。討議を始めたならば交渉を任された人間は、徹底的に労使双方の納得性を追求するべきだし、その結果得られた納得性こそが春闘の成果として労使ともに価値のある会社の資産となっていくことを認識しなければならない。言い換えれば、シャープ労使の選択は葛藤を超えて考え抜くことを、労使そろって放棄したように思うのだ。ついでに言えばシャープにとっては500円程度の賃金修正を本人の努力や合理性のある施策とは無関係にしてしまった。まったくひどい前例を作ったものである。
ところで、電機大手の春闘は3月15日に妥結していたのだから、この話は1ヶ月間もちゃんと公表せずにいた。今になって、2ちゃんのシャープスレを読んでみると、今回の妥結内容が3月には書き込んであった。ニュースに煽られることなく書き込まれた内容だから、これらは社員による可能性が高い。そこで、3月までの書き込みを信頼して読んでみると、

・賃金テーブルは改訂せずに、35歳だけに調整給
・末端の労組構成員には、松下や富士通あるいはトヨタも同様にピンポイント賃上げと組合員に説明したものもいる。
・結果に対して職場では反対するものもいるが、おおむね仕方がないとして賛成
という流れのようだが、「ピンポイント賃上げは他社も同じ」という説明はまったく間違っている。全員に500円配分する会社もあるし、何らかの意図を持って傾斜配分する場合もある。傾斜配分でも意図が重要だ。ある層だけが業界水準よりも低い給料だから補正したいとか、とくにテーブルに課題はないから比例配分するとかだ。交渉銘柄「だけ」を上げるなんて欺き(あざむき)はあり得ない。説得するのに組合員に対してそんなウソをついてどうするのだ?
シャープはユニオンショップ制でシャープ労組への加入が義務づけられているようだ。2ちゃんでは労組幹部は管理職への昇進が約束されているような書き込みが散見される。ユニオンショップ制に問題はなくとも、運用的には会社と組合間で馴れ合いが進んでると推測されるなぁ。今回の件でのシャープ労組幹部のコメントがすごい。どこを向いて話しているのだか。

 「勤める企業の存続は、自ら決めていかなければならない。社会的にだましたとか、ごまかしたとかいう気持ちはない」と労組幹部は話す。 (朝日新聞)

前半はその通りで何の疑問もない。会社の主張する今後の液晶業界の厳しさ理解して、労働組合がベアなしを受け入れるという選択もできたし、事実上そうなっている。でも、シャープとシャープ労組がした「ピンポイント賃上げ」は「社会的にだました」ことに他ならない。組合員に対して説明責任が果たせないなら、さらに電機連合の中核組合としての責務が果たせないなら、さっさと労働組合を解散して電機連合からも脱退すればいいとすら思うような、これは事件なのだ。組合解散しろなんて言い過ぎかもしれないが、この会社の社会性や内部のマネジメント能力には疑念を抱かざるを得ない状況だ。労働組合幹部や人事部勤労担当者の能力も疑問だし、春闘の回答は社長が決済しているのだろうが、本当にそれでいいのかい?この会社の社員のモチベーションは一体何で保たれているか??

ほかの会社のことにあんまり腹を立てているのも意味がないが、こんな事例と比較すればぼくの職場のマネジメントは至極まっとうだと思う。ぼくの会社では組合が愚直なまでに民主プロセスを尊重しているし、会社との間にはそれなりの緊張感もある。組合活動というのは意外とベンチマークがたてにくい。同業他社であってもその具体的な内容を把握することが難しいのだ。今回の報道では他社事例の一端を知ることができて、たいへん参考になった。下を見てても仕方ないので、ぼくらは自信を持って次のステージを探っていこう。

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まったくひどいシーズン

年度末はココログが不調だったんで、いまごろ昨年度の総括を。

この1年はまったくひどかった。すべてが悲惨でもないのだけど、おしなべてみればつらかった。

出だしは良かった。妻は育児休暇中であれこれ文句も言っていたが、極端に困った事態はなかった。ぼくはまとまった休みを取ってひとりで旅行にも行った。問題は仕事だった。新規事業開発のテーマだったが、ぼくにしてみればどう考えても自社のビジネスになるとは思えず、自分のスキルにつながるとも思えなかった。「飛び地」の新事業だったのだ。異動してきた職場で慣れなかったこともある。ぼくは納得していない自分をだまして仕事に没頭することができなかった。いつも良くしてくれる新しい上司にテーマの問題点を訴えてはいたが、プロジェクトを即時停止させるまで徹底抗戦する覚悟はなかった。テーマリーダは「ダメなときにはすぐに引き揚げるから」と言っていたものの、そのうちテーマは膨れあがって多くの関係者が巻き込まれるにいたり、止められる状況ではなくなった。

ぼく個人は状況に適応できない毎日が続いていた。自分が選び取ったものでない(納得していない)仕事は、決してはかどることはない。自らプロセスを改善することもなく、仕組みを変えることもなく、小さな喜びを探すこともなく、会社で時間を浪費することが多くなった。なにより意欲がわかないのだ。「できない」「社会に貢献できない」と信じていると仕事はできない。毎日、ネガティブなアウトプットしか出てこない。経験したことのない肩こりと眼の痛み、疲れが続いた。パフォーマンスが落ちる一方だ。いっそ、転職や社内公募をすればいいのだろうけど、今年はしがらみが多くてできなかった。

秋になり妻が仕事に復帰すると、子供は頻繁に熱をだして保育園に週の半分ぐらいしか通えない。ぼくも妻もたびたび仕事を休まなくてはならなかった。生活のリズムが築けない中で、ぼくは腫瘍が見つかって手術を受け2週間ほど仕事を休んだ(手術自体は問題なく、摘出後に腫瘍も良性だと分かったのは幸い)。その次は、娘が病気をした。熱性けいれんを起こしたのだ。小さな子供の熱性けいれんはそれほど珍しい症状ではないが、娘は頻度が高かった。何度か救急車で大病院に運ばれた。12月のある早朝、けいれんを起こした後に高熱をだして、こんどは娘が入院した。10日も入院することになって、娘は2回目のクリスマスを小児病棟で迎えたのだった。さらに同じころ妻は妊娠が分かっていたのだが、仕事と看病による過労のためか状態が悪く、流産することになった。不妊治療の末の結末だ。あまりのアクシデント連続に悲しいとかの感情よりやるせないダメージ感が先に立った。(信じられないことだがこんな年末の状況の中で、中古マンションを購入する契約をした。これは別に書こう。)

ネガティブで、それに立ち向かうだけのバイタリティもなくて、ただパフォーマンスが落ちていた1年だった。ここにいっぺんに挙げたこともBlogでこまめに書くようなものだろうが、そのときどきには書く気力も時間もなかった。今は、このひどい状況を書いて忘れて振り切りたい気持ちでこのエントリを記している。

こんなことだったから、ハタから見てもひどかったのだろう。査定が下がったのだ。ぼくの会社の査定は上から順にAA, A, B, C, D, E, Fの7段階。B以上なら上位30%の査定。ここ数年B以上の成績だったのだが、今年度に限って言えばE査定だった。当たり前の、妥当な査定ではあるが、賞与通知を見たときの軽い驚きと無念さは忘れない。

今回のぼくのパフォーマンスの低さは、失敗したのではなく、失敗すると思って何もしなかった結果だ。本質的に何のチャレンジもなかった。携わっていたテーマは事業化されることはなくなったが、テーマ全体の成否と関わりなく何かしら自分の人生を積み上げなければ自分の人生を無駄にしたような気分がするのだと、期末になって気がついた。仕事のやりがいを失うことはぼくには耐え難いダメージを与えるのだと知った。

今年度仕事で得たものは、ネガティブまみれの中で見つけたそんな教訓だ。

企業組織の中ではモチベーションを無くしても職を失うこともないし、生活にも困らない。ぼくだって査定が下がろうが差し当たっての給与にはほとんど影響しない。ましてや開発の仕事では、営業と違ってその効果測定も難しく、アウトプットで何倍も違っていても、遠目には同じように会社に来て帰っているだけにしか見えない。「何倍」という云い方は冗談ではない。同じ時間働いても仕事の内容次第では2割程度のアウトプットしかない場合はありうる。(定量的には示しにくいので感覚的なものだが。これはレポートの本数では示せないのだ。熱意のないレポートは役に立たないのだから。)

今回のぼくだけではない。なにがしかの理由でパフォーマンスがあがらないで、つらい思いをしたり、仕事に向き合えなかったりしている人が、職場の中には程度の差こそあれ大勢いるのだ。その「なにがしかの理由」の中身を時代(環境といってもよかろう)の中で読み解き、効果的なアクションで全体のパフォーマンスをあげるのもリーダの仕事と言うことか。
仕事の組み立てを効率やロジック、ベンチマークで考えてきてばかりいたし、成果のあがらない人の言い分などおよそ考えたこともなかったが、情けなくなるような1年を過ごして、ちょっと違う見方ができるようになったのかもしれない。こういうのはどんなにマネジメント本を読んでも分からないのかもしれない。モチベーションとかチャレンジとかいくら読んでも自分のものにならない。少なくともぼくは自分の躰での苦しい思いを経てからでないと、理解できないようだ。そのための1年だったのだ(としよう)。

こうしてちょっと自分の見方が広がるたびに自分の能力のなさと、人生の短さを嘆きたくなる。嘆いても自分に残された時間は変わるまい。さぁ、次の一年は精一杯にやってみようじゃないか。

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顧客の視点で名称を

三菱東京UFJ銀行って、過去の名称や多数あるグループ会社の名称で、ちょっと混乱をしているように思う。大銀行にもかかわらず顧客(利用者)が名称の変更について行けてない。名称ぐらいでどうだという人もあるかもしれないが、こんなにたくさん類似名称の詐欺があるのは問題だと思う。そりゃ、だますやつが悪いんだけど、以前のエントリにも書いたが長すぎる銀行の名称が詐欺を誘発する土壌なっているのではないかと。リンク先のリストを見て、どれを見ても「そうかもしれない」って思えてしまう人は多いだろう。
MUFGの一連の名称は外部から見ていても、社内向けの名称であるのはあきらか。支店の名前もややこしいし、システム統合の頃には「さくら銀行」並みにシンプルな名称にしてくれー。詐欺に引っ掛かる人がでるようでは社会的にも損失だ。

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視察は授業だと思えば

とくに変な記事ではないけれど、当事者には反響を呼んでいるようで。

他自治体からの視察1時間半で5千円也 横浜市が有料化

ぼくにとっては自治体間の視察がこれまで無料で対応していることが意外だった。お互い様って言うのもわかるけど、無料というのはあいまいだなぁ。視察の対応に忙しくて市民サービスに影響も出るのは、位置づけがあいまいだからじゃないか?。識者の意見としては、毎日新聞の昨日の朝刊に、神野直彦・東大教授がこの制度に否定的なコメントを出している。けど、民間人のぼくは有料化に大賛成だ。
運用には課題はあると思う。だいたい「1時間半で5千円」なんて激安にすぎる。説明員のその場の人件費にもならない。説明用の資料を作るのだって大変な仕事だ。対価としての金額はもっと高いものなのだから、何のインセンティブを狙ってこの金額になったのかはちょっとわからない。横浜市にしてみればちょっと実験のために周囲が痛くないくらいの金額を提示したと言うところだろうか。
「視察」なんて云い方だから、5千ぐらいでが高いように思うのだ。伝統的に視察費用に盛り込んでいないというイイワケもあるだろう。しかし考えてみよう、築き上げたノウハウを直接見せてもらうのだから、これは「授業料」だよ。民間で同じような企画があったら、大勢の聴講者でひとまとめにされた上で1時間に1万円を下回ることはない(ぼくも高額なセミナーや学会にたまに行かせてもらっている。民間のセミナーは高額だし、その上に本当のノウハウは教えてもらえないことだってある(そうでないパターンもあるので単純ではないか…))。
「授業料」を払われるとなれば説明する方も責任がかかるし、それに応えていけば(無料の視察での説明を繰り返すよりも)担当者としてのレベルも向上するだろう。それが横浜市のオリジナル施策かどうかは問題ではない。ほかの自治体がカネを払ってでも知りたいと思える工夫と努力を日頃の活動で重ねていることが尊いのだ。聞きに行く方だって、より身が入るだろう。自分の自治体の税金を使ってノウハウを教えてもらうのだから、しっかり勉強してもらわないと困る。
視察を「事業」としてとらえるのは行き過ぎかもしれないが(そんなのに頑張ってもらっては市民サービスに影響が出る、本業に集中すべし)、「授業」として有料化するのは地方自治にとってはプラスになるに違いない。

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神戸市営空港が開港したらしい

神戸空港は京都に住むぼくですら、あまり関心のなかった話。たまに神戸に行くと看板があったりして空港を建設していることを思い出すのだが、ほかの町では神戸空港はそれほど話題になっていなかった。全国で97番目の空港らしい。
関東圏にいる人はとくに間違われているように思うのだが、関西は狭い。正確に言うと、京阪神都市圏というのは狭い。三ノ宮駅(神戸の中心地)から大阪駅までは、電車でわずか19分、大阪駅から京都駅までは27分、さらに京都駅から大津駅(滋賀県庁のあるところ)までは10分しかかからない。しかも、これは特急券のいらない新快速電車の話なのだ。電車で1時間もあれば、滋賀から神戸まで行けてしまう。その上、これと平行して新幹線だって走っている。都市圏としていかにコンパクトか理解していただけるだろうか。
このような地勢なので、関西人の大多数が新空港に関心がないのは無理のない話。すでにある関西国際空港の採算や拡張工事が問題なのだから、関西にこれ以上空港は必要ない。空港の利用者圏を考えれば、既存の2空港で十分にカバーできているのである。まさに目と鼻の先に地方空港を一つ増やすぐらいなら、関空にもう一本滑走路を造る方が値打ちがある。
今日の毎日新聞によれば、笹山元神戸市長(81)は「大規模な公共工事は公正で評価されることが多く、神戸空港も必ず評価されるはずだ」と言っているそうだが、何ともロジックのないセリフである(新聞なので端折られているとは思うが)。この元市長が建設を推進していたのだが、本当にそれで周囲は説得されていたのか不思議だ。それでも、誰にも迷惑をかけずに資金を調達して、運営できるなら文句はないけど、総事業費3000億円を返済するための空港島売却が「99.6%いまだ“売れ残り”」(神戸新聞)というのだから、いずれ誰かに迷惑がかかるだろう。民間企業なら即座にデフォルトになりそうな債権は、市が発行すると引き受け手がいるのだろうか?
空港の後背地は大きい、にもかかわらず事業主体が神戸市というスケールなのが問題の一つかなあ。滋賀県にも同じような空港建設の計画がある。「今作らないと、後世に迷惑がかかる」のような喧伝を県内でしている(建設促進のテレビCMまで流して世論形成をはかっていることは、滋賀県民以外は知るまい。)。何ともローカルで、しかし、資金の当てもないので国費の投入を望んでいるような話だと思う。そんなだらしのない話をまともな政治家が進めちゃいけないと思うけど、空港建設案件では自民党も民主党も大賛成なのである。どちらのマニフェストにも明記されていて、選挙の時の選択要因にならない。国会では「小さな政府」が大流行なのがウソのようだ。
公共事業も経済行為のひとつ。およそ見込みのないものに無駄遣いして良いはずはない。小さな政府ブームでよっぽど無駄遣いが減ったようにも錯覚するが、現実はこんなものなのだ。神戸空港建設は、政策意志決定のケーススタディとしては結構おもしろいと思うので、誰か研究してくれないだろうか。もちろん、まだ失敗とも成功ともいえないが、ぼくには神戸空港の成功のイメージがわかない。将来、神戸市が財政破綻したら、震災のせいではないと思う。

どうせだったら、はしけ方式(メガフロート)で空港を作って、社会情勢によっては(=利用者が少なくて維持できなかったら)、関空まで移動(分解、えい航、再構築)できるようにしておけばよかったのに、とエンジニア的には空想するが、政治的には許されないよなぁ。

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