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白川静氏の追悼

ぼくは一介の技術者で国語学の心配をすることはあまりない。それでも、白川静氏の訃報と一連の解説記事は興味深く読んだ。
ぼくが白川氏の辞典を読んだのは、子供の名前を考えていたときだった。書店であれこれと漢和辞典を探していたときに明らかに他と違う大きな辞典を見つけて(いわゆる白川三部作)、その詳細さに驚いた。さすがに白川三部作は買えないので、市立図書館に見に行っていた。そのうち2003年暮れに(ちょうど第一子の出産の直前だったが)、手頃に買うことができる常用字解が発売されたので、予約して買った。人名漢字は常用に含まれていないものも多いので、名付けの目的からは多少不満だったが、古代中国の漢字の成り立ちを見ながら名付けを考えるのは、なかなか楽しかった。
あれから3年、一ヶ月後に第二子の誕生を控えて、また白川辞典を楽しんでいる。前回は人名漢字が引けなかったのに困っていたが、今年は常用字解の追補として最近刊行された人名字解も購入した。「人名字解」には常用漢字が載っていないが、「常用字解」の該当ページ番号が記されている。

毎日新聞によると学者としてたいへん厳しい人であったようだ。一つの仕事を成し遂げた人間として敬服するほかない。一方で、著書を通じて、ぼくのようなごく一般人にも漢字成り立ちについて知ることができるようにまで導いて下さっていることに感動する。ご冥福を祈りたい。

ところで、ぼくの職場は工学部出身の理系エンジニアばかりがいる開発現場なのだが、職場の先輩方に話を聞けば、子供の名付けの時には白川辞典を調べたという人が少なからずいる。仕事に関係があるから、受験に必要だからではなく、人生の幅としてなにかを識ることの豊かさをそこに見る(大げさか)。自分がいる社会を知り、我が子の名前にもその思いを込めたいと、ぼくのような一般人が考えているというのが、文化なんだろうなぁ。


蛇足話
さいきん、必修履修科目にもかかわらず受験に必要がないという理由で、違法なカリキュラム組み替えをしている公立高校が話題になっている。高校の歳ぐらいまでは幅をもって教養を身につけた方がその後の能力向上にのために良いとぼくは思っていて、法的に履修範囲を決めるのは重要だと思うのだが、目先の目的のためには法を破る人たちがいるということだな。私立高校だとカリキュラムの実態把握もできていないそうで、どうなっているんだろう。受験教科が減ってきたのはここ20年ぐらいの傾向なので、その世代のひとがそれ以上の世代と同様に漢字文化に興味を持っているかどうかは(測定できないけど)面白い命題ではないかと。
受験教科を減らして、結果的に世の人々の学習機会を奪っている私立大学とか、受験さえ受かれば教養なんてなくても人生の幅が狭くなっても構わないとか考えているような私立高校とかは、社会のためになっているんだろうか。私立の教育機関には公的補助は本来不要だとぼくは思っているのだが、補助先が最低限のコンプライアンスすら守れていないとなれば、税金の無駄遣いと言うほか無い。
えぇ、故白川先生は私立大学のご出身で教授にもなられているので、私立大学が一律にダメだという訳ではないのですがね。

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