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まったくひどいシーズン

年度末はココログが不調だったんで、いまごろ昨年度の総括を。

この1年はまったくひどかった。すべてが悲惨でもないのだけど、おしなべてみればつらかった。

出だしは良かった。妻は育児休暇中であれこれ文句も言っていたが、極端に困った事態はなかった。ぼくはまとまった休みを取ってひとりで旅行にも行った。問題は仕事だった。新規事業開発のテーマだったが、ぼくにしてみればどう考えても自社のビジネスになるとは思えず、自分のスキルにつながるとも思えなかった。「飛び地」の新事業だったのだ。異動してきた職場で慣れなかったこともある。ぼくは納得していない自分をだまして仕事に没頭することができなかった。いつも良くしてくれる新しい上司にテーマの問題点を訴えてはいたが、プロジェクトを即時停止させるまで徹底抗戦する覚悟はなかった。テーマリーダは「ダメなときにはすぐに引き揚げるから」と言っていたものの、そのうちテーマは膨れあがって多くの関係者が巻き込まれるにいたり、止められる状況ではなくなった。

ぼく個人は状況に適応できない毎日が続いていた。自分が選び取ったものでない(納得していない)仕事は、決してはかどることはない。自らプロセスを改善することもなく、仕組みを変えることもなく、小さな喜びを探すこともなく、会社で時間を浪費することが多くなった。なにより意欲がわかないのだ。「できない」「社会に貢献できない」と信じていると仕事はできない。毎日、ネガティブなアウトプットしか出てこない。経験したことのない肩こりと眼の痛み、疲れが続いた。パフォーマンスが落ちる一方だ。いっそ、転職や社内公募をすればいいのだろうけど、今年はしがらみが多くてできなかった。

秋になり妻が仕事に復帰すると、子供は頻繁に熱をだして保育園に週の半分ぐらいしか通えない。ぼくも妻もたびたび仕事を休まなくてはならなかった。生活のリズムが築けない中で、ぼくは腫瘍が見つかって手術を受け2週間ほど仕事を休んだ(手術自体は問題なく、摘出後に腫瘍も良性だと分かったのは幸い)。その次は、娘が病気をした。熱性けいれんを起こしたのだ。小さな子供の熱性けいれんはそれほど珍しい症状ではないが、娘は頻度が高かった。何度か救急車で大病院に運ばれた。12月のある早朝、けいれんを起こした後に高熱をだして、こんどは娘が入院した。10日も入院することになって、娘は2回目のクリスマスを小児病棟で迎えたのだった。さらに同じころ妻は妊娠が分かっていたのだが、仕事と看病による過労のためか状態が悪く、流産することになった。不妊治療の末の結末だ。あまりのアクシデント連続に悲しいとかの感情よりやるせないダメージ感が先に立った。(信じられないことだがこんな年末の状況の中で、中古マンションを購入する契約をした。これは別に書こう。)

ネガティブで、それに立ち向かうだけのバイタリティもなくて、ただパフォーマンスが落ちていた1年だった。ここにいっぺんに挙げたこともBlogでこまめに書くようなものだろうが、そのときどきには書く気力も時間もなかった。今は、このひどい状況を書いて忘れて振り切りたい気持ちでこのエントリを記している。

こんなことだったから、ハタから見てもひどかったのだろう。査定が下がったのだ。ぼくの会社の査定は上から順にAA, A, B, C, D, E, Fの7段階。B以上なら上位30%の査定。ここ数年B以上の成績だったのだが、今年度に限って言えばE査定だった。当たり前の、妥当な査定ではあるが、賞与通知を見たときの軽い驚きと無念さは忘れない。

今回のぼくのパフォーマンスの低さは、失敗したのではなく、失敗すると思って何もしなかった結果だ。本質的に何のチャレンジもなかった。携わっていたテーマは事業化されることはなくなったが、テーマ全体の成否と関わりなく何かしら自分の人生を積み上げなければ自分の人生を無駄にしたような気分がするのだと、期末になって気がついた。仕事のやりがいを失うことはぼくには耐え難いダメージを与えるのだと知った。

今年度仕事で得たものは、ネガティブまみれの中で見つけたそんな教訓だ。

企業組織の中ではモチベーションを無くしても職を失うこともないし、生活にも困らない。ぼくだって査定が下がろうが差し当たっての給与にはほとんど影響しない。ましてや開発の仕事では、営業と違ってその効果測定も難しく、アウトプットで何倍も違っていても、遠目には同じように会社に来て帰っているだけにしか見えない。「何倍」という云い方は冗談ではない。同じ時間働いても仕事の内容次第では2割程度のアウトプットしかない場合はありうる。(定量的には示しにくいので感覚的なものだが。これはレポートの本数では示せないのだ。熱意のないレポートは役に立たないのだから。)

今回のぼくだけではない。なにがしかの理由でパフォーマンスがあがらないで、つらい思いをしたり、仕事に向き合えなかったりしている人が、職場の中には程度の差こそあれ大勢いるのだ。その「なにがしかの理由」の中身を時代(環境といってもよかろう)の中で読み解き、効果的なアクションで全体のパフォーマンスをあげるのもリーダの仕事と言うことか。
仕事の組み立てを効率やロジック、ベンチマークで考えてきてばかりいたし、成果のあがらない人の言い分などおよそ考えたこともなかったが、情けなくなるような1年を過ごして、ちょっと違う見方ができるようになったのかもしれない。こういうのはどんなにマネジメント本を読んでも分からないのかもしれない。モチベーションとかチャレンジとかいくら読んでも自分のものにならない。少なくともぼくは自分の躰での苦しい思いを経てからでないと、理解できないようだ。そのための1年だったのだ(としよう)。

こうしてちょっと自分の見方が広がるたびに自分の能力のなさと、人生の短さを嘆きたくなる。嘆いても自分に残された時間は変わるまい。さぁ、次の一年は精一杯にやってみようじゃないか。

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Comments

はじめまして、Tiny Mouse です。

仕事、家庭ともども、大変な 1 年でしたね。
僕も数年前、職場異動の直後は、仕事にやりがいを感じられず、会社を辞めることも考えたりしました。その頃のことを思い出しました。
僕の場合は幸いなことに、家庭には何の問題も起きず、会社では部下も含め人間関係には恵まれ、何とか乗り切れました。
今でも決して、自分の仕事にやりがいや満足感を感じられるわけではありませんが、今は精一杯やってみせるしかない、と思えるようになりました。
Zakkie さんは、自分の置かれている状況を冷静に把握されているようですし、乗り切れる日が直ぐにやってくると信じています。お互い頑張りましょう。

Posted by: Tiny Mouse | Saturday, April 15, 2006 at 07:22

Tiny Mouseさん、コメントありがとうございます。今回のように内向きで自分のことだけを書くようなエントリはほかのものとはちょっと違う気分で書いているところがあります。
うまく説明できないのですが、公開しながらも誰かに読んでもらえると思っていないような、自分の心の整理のために書いているような感じです。それゆえに、このような形でコメントいただけることは、とてもうれしいものです。
Tiny MouseさんのBlogでは「仕事雑感」についても多く綴られているのがぼくにとっては興味深いです。ココログスタート時からのBloggerでいらっしゃるのですね。とくに以前のエントリでやりがいについて言及される部分もあって共感できました。これからも、ときどき拝見させて頂きますね。

Posted by: zakkie | Sunday, April 16, 2006 at 00:37

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