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増税案を自分のこととして考えるために

政府の増税案がでたとして、テレビのニュースから自分のこととして、実感ができるだろうか?インターネットを使えばテレビのニュースを見ているより印象に残る体験ができる。連合が面白いキャンペーンをやっている。公務員、会社員問わず、給与所得者なら体験してみる価値は十分にある。しかも、操作は簡単だ。この下の「増税試算チェックツール」を使うか、 http://www.think-tax.jp/ (連合のキャンペーンサイト) へ行ってみよう!

春闘で勝ちとった金額よりも、ずっと大きな金額になるだろう。ぼくは、年額 318,000円だった。毎月25,000円以上。別途、妻の収入にも増税がのしかかるはずである。

所得税なのに「サラリーマン大増税」なのは、なぜって? サラリーマン以外の人は所得税が少ないのでインパクトが小さいのでしょうね。所得税の意味を問いたいね。消費税は経済活動にかかる応分として高くして、累進制の補正は逆人頭税ですればいいと、ずいぶん前から夢想しているのだが、エンジニア的発想なのか政治家からはそんな意見を聞いたことがないな。最近はやりの「格差社会」も、所得税制、付加価値税制、相続税制から論議するのがはやらないかなぁ。問うべし、問うべし。

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シャープ労組春闘事件は労使馴れ合いの果てか

5年ぶりとなった今年の春闘は、デフレ脱却懸念(消費者サイドからは可処分所得が減るのだから賃上げの理由になる)、定率減税の廃止、業績の回復、労働分配率の低下、日本経団連トップによるベア容認談話など、賃上げを要求するだけの変化点が多くあった。一方、ここ数年での経営スタイルは、利益配分を株主配当と一時金(月給ではなくボーナス)に反映するものに大きく舵を切ってきたことから、業績回復は月例賃金ではなく一時金で報いるべきとの考えが主に経営側から示されていた。製造業の国際競争は激しさを増しているなか、組合側も大幅な賃上げを要求できる状態にないことを理解しており、電機連合の場合、ベア要求は2,000円とした。それでも、経営側の固定費懸念へのこだわりが強く、結果的に500円程度の妥結に終わった。
ごく少額の妥結水準になったことを非難するむきもあるが、ぼくは評価している。ベースアップは死語とされた時期を経ながらも、社会環境の変化を労使ともに確認して有額回答にこぎ着けた。さらに以前の春闘からすれば経営・労組ともトップメンバーの多くが交代している状況で、労使ともに真剣に賃金の意味をかけて議論と交渉を闘わすことができたことに意味があった。妥結金額だけでなく、賃金テーブルの内容までに踏み込んだ会社も多かった。課題としては、電機連合内で妥結額がばらつき、統一交渉や要求水準の意味がこれまで通りに説明できなくなっていることがある。かといって、妥結額は各社の業績を反映したものでもない(「ベアは各社の業績を反映して…」などと書いた報道機関は反省してもらいたいものだ)。賃金とは何によって決まるのかをゼロベースで考え直す時期に来たのかもしれない。電機連合の政策委員会では難しい議論をしているだろう。

春闘が終わって一ヶ月もしてからこんなエントリを書いたのは、このニュースには心底びっくりしたからだ。

シャープ春闘妥結、実は35歳だけ賃上げ

今年の春闘の労使交渉で、「35歳500円」の賃上げ(賃金改善)とされたシャープ(大阪市)の妥結内容が、35歳の社員だけに限られたものだったことが19日、わかった。35歳をモデルに他の年代の賃上げ額を決めるのが通例だが、モデル年齢の組合員だけが賃上げされ、他の年齢は賃上げゼロという極めて異例の内容。同社の労働組合は「見せかけだけと言われるかもしれないが、目標をクリアし、ストライキを回避するための苦肉の策だった」と話している。
  (中略)
高橋伸夫・東大教授(経営学)の話「ストを回避しようと、500円という額にこだわった結果で、余りに極端。組合員の信頼を失い、労組の求心力が失われるのではないか。他の年齢層との賃金バランスを欠くことにもなる」(読売新聞 4/20)

 【高梨昌・信州大名誉教授(労使関係論)】 常識では考えられない妥結内容で、組合がよくのんだものだと思う。賃金の秩序を崩せば社員全体のチームワークも崩れ、経営者にとってもマイナスだ。賃金の秩序を崩す際は、職能給を導入するなどの理屈や経過措置が必要で、その意味でも今回の内容は乱暴だ。(朝日新聞 4/21)

ぼくを含め他社の一般社員は4月20日になって新聞が伝えたところで初めて知った。電機連合のサイトを見ても交渉銘柄1点だけ変えたなんてことは分かりようがない。

さて、ぼくはこのニュースの何に驚いているのだろう。事実上のベアゼロに驚いているのではない。ひと言で言えば、このシャープの労使交渉において組合員の立場からは「組織に対する信頼感のありか」を見いだせないからだと思う。まず、労働組合。こんな姑息な手段を使って交渉銘柄における目標をクリアすることの、一体どこが組合員のためになる行動なのか。組合員は労働組合費を払い、組合活動を日々ボランティアで支えている(と思う、ぼくはシャープ社員じゃないが一般論として)。その組合員に対して、対面保つためだけに、賃金テーブルの一部をねじ曲げるような改訂をしましたなんて説明が何でできるのだろうか。会社も会社だ。こんな回答のどこに社員に対する誠実さがあるというのだ。
電機会社サラリーマンの一般論として、大きな会社組織の賃金テーブルというものはその会社の風土、歴史と密接に関わりつつ、そこの社員にとっては(日々気にするものではないが)大切な意味がある。自分のライフステージに応じて賃金が伸びるのか、昇格すればどのように賃金面で報われるのか。退職金がいくらになって老後にどう備えるのか。家庭をどのように築き、家族を養うのか。自分の仕事がいかにすれば認められるのか。それだけ重要な賃金テーブルを修正するにはそれなりの施策説明、ストーリーが必要だ。だのに「一点だけを修正しました。これはストライキを回避するための苦肉の策です」なんて、労組の幹部たる人間が、ひとが働くことにかける意味や思いをすっかり忘れたかのようではないか。この納得性のない施策は、まったくもって理解不能。ぼくの会社でこんなことをすれば、組合執行部は全員辞任に追い込まれるだろう。
今年の春闘の要求金額が少額だからその内容を問題にすべきでないという意見は分かるが、賃金の意味を討議通して問うプロセスを放棄してもらっては困る。たとえ少額でも納得性や合理性の高い結論を導き、労使そろって新しい賃金体系に合意していくプロセスを大切にすべきだ。要求金額で得られるものと春闘に投じるエネルギーを経済合理性だけで考えれば、最初から交渉しないという判断もあったはず。討議を始めたならば交渉を任された人間は、徹底的に労使双方の納得性を追求するべきだし、その結果得られた納得性こそが春闘の成果として労使ともに価値のある会社の資産となっていくことを認識しなければならない。言い換えれば、シャープ労使の選択は葛藤を超えて考え抜くことを、労使そろって放棄したように思うのだ。ついでに言えばシャープにとっては500円程度の賃金修正を本人の努力や合理性のある施策とは無関係にしてしまった。まったくひどい前例を作ったものである。
ところで、電機大手の春闘は3月15日に妥結していたのだから、この話は1ヶ月間もちゃんと公表せずにいた。今になって、2ちゃんのシャープスレを読んでみると、今回の妥結内容が3月には書き込んであった。ニュースに煽られることなく書き込まれた内容だから、これらは社員による可能性が高い。そこで、3月までの書き込みを信頼して読んでみると、

・賃金テーブルは改訂せずに、35歳だけに調整給
・末端の労組構成員には、松下や富士通あるいはトヨタも同様にピンポイント賃上げと組合員に説明したものもいる。
・結果に対して職場では反対するものもいるが、おおむね仕方がないとして賛成
という流れのようだが、「ピンポイント賃上げは他社も同じ」という説明はまったく間違っている。全員に500円配分する会社もあるし、何らかの意図を持って傾斜配分する場合もある。傾斜配分でも意図が重要だ。ある層だけが業界水準よりも低い給料だから補正したいとか、とくにテーブルに課題はないから比例配分するとかだ。交渉銘柄「だけ」を上げるなんて欺き(あざむき)はあり得ない。説得するのに組合員に対してそんなウソをついてどうするのだ?
シャープはユニオンショップ制でシャープ労組への加入が義務づけられているようだ。2ちゃんでは労組幹部は管理職への昇進が約束されているような書き込みが散見される。ユニオンショップ制に問題はなくとも、運用的には会社と組合間で馴れ合いが進んでると推測されるなぁ。今回の件でのシャープ労組幹部のコメントがすごい。どこを向いて話しているのだか。

 「勤める企業の存続は、自ら決めていかなければならない。社会的にだましたとか、ごまかしたとかいう気持ちはない」と労組幹部は話す。 (朝日新聞)

前半はその通りで何の疑問もない。会社の主張する今後の液晶業界の厳しさ理解して、労働組合がベアなしを受け入れるという選択もできたし、事実上そうなっている。でも、シャープとシャープ労組がした「ピンポイント賃上げ」は「社会的にだました」ことに他ならない。組合員に対して説明責任が果たせないなら、さらに電機連合の中核組合としての責務が果たせないなら、さっさと労働組合を解散して電機連合からも脱退すればいいとすら思うような、これは事件なのだ。組合解散しろなんて言い過ぎかもしれないが、この会社の社会性や内部のマネジメント能力には疑念を抱かざるを得ない状況だ。労働組合幹部や人事部勤労担当者の能力も疑問だし、春闘の回答は社長が決済しているのだろうが、本当にそれでいいのかい?この会社の社員のモチベーションは一体何で保たれているか??

ほかの会社のことにあんまり腹を立てているのも意味がないが、こんな事例と比較すればぼくの職場のマネジメントは至極まっとうだと思う。ぼくの会社では組合が愚直なまでに民主プロセスを尊重しているし、会社との間にはそれなりの緊張感もある。組合活動というのは意外とベンチマークがたてにくい。同業他社であってもその具体的な内容を把握することが難しいのだ。今回の報道では他社事例の一端を知ることができて、たいへん参考になった。下を見てても仕方ないので、ぼくらは自信を持って次のステージを探っていこう。

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まったくひどいシーズン

年度末はココログが不調だったんで、いまごろ昨年度の総括を。

この1年はまったくひどかった。すべてが悲惨でもないのだけど、おしなべてみればつらかった。

出だしは良かった。妻は育児休暇中であれこれ文句も言っていたが、極端に困った事態はなかった。ぼくはまとまった休みを取ってひとりで旅行にも行った。問題は仕事だった。新規事業開発のテーマだったが、ぼくにしてみればどう考えても自社のビジネスになるとは思えず、自分のスキルにつながるとも思えなかった。「飛び地」の新事業だったのだ。異動してきた職場で慣れなかったこともある。ぼくは納得していない自分をだまして仕事に没頭することができなかった。いつも良くしてくれる新しい上司にテーマの問題点を訴えてはいたが、プロジェクトを即時停止させるまで徹底抗戦する覚悟はなかった。テーマリーダは「ダメなときにはすぐに引き揚げるから」と言っていたものの、そのうちテーマは膨れあがって多くの関係者が巻き込まれるにいたり、止められる状況ではなくなった。

ぼく個人は状況に適応できない毎日が続いていた。自分が選び取ったものでない(納得していない)仕事は、決してはかどることはない。自らプロセスを改善することもなく、仕組みを変えることもなく、小さな喜びを探すこともなく、会社で時間を浪費することが多くなった。なにより意欲がわかないのだ。「できない」「社会に貢献できない」と信じていると仕事はできない。毎日、ネガティブなアウトプットしか出てこない。経験したことのない肩こりと眼の痛み、疲れが続いた。パフォーマンスが落ちる一方だ。いっそ、転職や社内公募をすればいいのだろうけど、今年はしがらみが多くてできなかった。

秋になり妻が仕事に復帰すると、子供は頻繁に熱をだして保育園に週の半分ぐらいしか通えない。ぼくも妻もたびたび仕事を休まなくてはならなかった。生活のリズムが築けない中で、ぼくは腫瘍が見つかって手術を受け2週間ほど仕事を休んだ(手術自体は問題なく、摘出後に腫瘍も良性だと分かったのは幸い)。その次は、娘が病気をした。熱性けいれんを起こしたのだ。小さな子供の熱性けいれんはそれほど珍しい症状ではないが、娘は頻度が高かった。何度か救急車で大病院に運ばれた。12月のある早朝、けいれんを起こした後に高熱をだして、こんどは娘が入院した。10日も入院することになって、娘は2回目のクリスマスを小児病棟で迎えたのだった。さらに同じころ妻は妊娠が分かっていたのだが、仕事と看病による過労のためか状態が悪く、流産することになった。不妊治療の末の結末だ。あまりのアクシデント連続に悲しいとかの感情よりやるせないダメージ感が先に立った。(信じられないことだがこんな年末の状況の中で、中古マンションを購入する契約をした。これは別に書こう。)

ネガティブで、それに立ち向かうだけのバイタリティもなくて、ただパフォーマンスが落ちていた1年だった。ここにいっぺんに挙げたこともBlogでこまめに書くようなものだろうが、そのときどきには書く気力も時間もなかった。今は、このひどい状況を書いて忘れて振り切りたい気持ちでこのエントリを記している。

こんなことだったから、ハタから見てもひどかったのだろう。査定が下がったのだ。ぼくの会社の査定は上から順にAA, A, B, C, D, E, Fの7段階。B以上なら上位30%の査定。ここ数年B以上の成績だったのだが、今年度に限って言えばE査定だった。当たり前の、妥当な査定ではあるが、賞与通知を見たときの軽い驚きと無念さは忘れない。

今回のぼくのパフォーマンスの低さは、失敗したのではなく、失敗すると思って何もしなかった結果だ。本質的に何のチャレンジもなかった。携わっていたテーマは事業化されることはなくなったが、テーマ全体の成否と関わりなく何かしら自分の人生を積み上げなければ自分の人生を無駄にしたような気分がするのだと、期末になって気がついた。仕事のやりがいを失うことはぼくには耐え難いダメージを与えるのだと知った。

今年度仕事で得たものは、ネガティブまみれの中で見つけたそんな教訓だ。

企業組織の中ではモチベーションを無くしても職を失うこともないし、生活にも困らない。ぼくだって査定が下がろうが差し当たっての給与にはほとんど影響しない。ましてや開発の仕事では、営業と違ってその効果測定も難しく、アウトプットで何倍も違っていても、遠目には同じように会社に来て帰っているだけにしか見えない。「何倍」という云い方は冗談ではない。同じ時間働いても仕事の内容次第では2割程度のアウトプットしかない場合はありうる。(定量的には示しにくいので感覚的なものだが。これはレポートの本数では示せないのだ。熱意のないレポートは役に立たないのだから。)

今回のぼくだけではない。なにがしかの理由でパフォーマンスがあがらないで、つらい思いをしたり、仕事に向き合えなかったりしている人が、職場の中には程度の差こそあれ大勢いるのだ。その「なにがしかの理由」の中身を時代(環境といってもよかろう)の中で読み解き、効果的なアクションで全体のパフォーマンスをあげるのもリーダの仕事と言うことか。
仕事の組み立てを効率やロジック、ベンチマークで考えてきてばかりいたし、成果のあがらない人の言い分などおよそ考えたこともなかったが、情けなくなるような1年を過ごして、ちょっと違う見方ができるようになったのかもしれない。こういうのはどんなにマネジメント本を読んでも分からないのかもしれない。モチベーションとかチャレンジとかいくら読んでも自分のものにならない。少なくともぼくは自分の躰での苦しい思いを経てからでないと、理解できないようだ。そのための1年だったのだ(としよう)。

こうしてちょっと自分の見方が広がるたびに自分の能力のなさと、人生の短さを嘆きたくなる。嘆いても自分に残された時間は変わるまい。さぁ、次の一年は精一杯にやってみようじゃないか。

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